
顔にばっかり汗をかく
6顔に汗をかく。
その姿だけで笑ってもらえるような程にだ。
だから中学校のころ隣のクラスに居た、どんなに暑い日でも顔に一滴の汗もかかない女の子に憧れた。その子は丸顔で、目も大きなまんまるで、髪も真っ黒でツヤツヤで、たまにニキビはできるけど性格は控えめで声もちいさくて、笑う時も大口を開けたり手を叩いたりすることはなく伏し目になりうふふと口に手を添え、でも歌はうまくて字も綺麗で、つまり、
可愛いかった。
可愛いひとというのはたぶん、顔に汗をかかないということなのだ。
なんといっても驚くべきは体育の長距離走をゴールした後でも汗の「ア」の字もなかったことだ。息も上がって「疲れたね」などと言っている割にビジュアルが伴わない。おかしい。だって同じ人間で、同じ年数だけ生きた体なのだ。
堪らなくなってついに尋ねた。
「ねえ、どうやったら顔に汗かかなくて済むの」
すると少し困ってから答えた。
「ファウンデーションしてるからかな…たぶん…」
その子が言うには、昔はなんと普通に汗をかいていたそうなのだ。
ファウンデーションを使うようになり、だんだんと顔には汗が出ないようになってきたというのだ。
「教えてくれてありがとう!」
私は家に帰ると貯金箱をひっくり返して100均に走った。
だからまた汗が出た。
でももうこれで、おさらばだ!
翌朝は朝ご飯も食べず両親と顔を合わせないように家を出た。
ファウンデーションの使い方なんて全くわからなかったが、たぶん顔に塗ればいいだけだ。
もう汗がでない自分になれるのだと思うだけで気分も上がる。心なしか顔も火照ってきた。1時間目の先生が授業をしながら私の顔ばかり見ている気がする。ファウンデーションなんてしてくるんじゃありません、なんて呼び出されて言われるのかななんて考えた。でも別に怒られたっていい。だって汗をかかないのだから。
ところが違った。
授業の途中で先生が話を止めて私に告げた。
「大丈夫ですか?具合が良くなければ保健室へ遠慮なく行って欲しいと思います。先ほどから授業しながらどうしても心配になってしまいました、お顔が、真っ赤なので。」
そう、生まれて初めてのファウンデーションで、私はお肌がかぶれてしまっていたのだった。
こうして私は、ただいつもの通り、汗をかくだけだ。
たぶん私は、汗をかきたくないという気持ちは微塵もなくて、その子に憧れていただけなのだ。
むしろ、思春期が来なかったのかと思えるくらい、私はニキビが全くできなくて、それは顔に汗をいっぱいかくからなのだろうと考えていた。
あの洗顔がニキビに効く、薬局の塗り薬がいい、触ったらだめ…クラスの子たちや同じ部活の子たちがそういった会話を繰り広げる度に、その話題はキラキラ女子の特権だと思っていた。だってニキビについて悩んでいる彼女たちは、本当に可愛らしいと思った。ニキビがあったって無くたって、あなたたちはとても美しくて、優しくて、可愛い。
そうして大人になってからファウンデーションを使うようになったが、汗の量は変わらぬままだ。
昨晩の会食も、一番乗りをしてお先にクーラーの効いた店内で涼ませてもらおうと算段していた。
「今日もあついね」などと言いながらサッパリした顔で皆を出迎えようというのだ。
ところが、である。
予約名を告げお席に案内してもらうと、なんと私よりも早く到着していた方がいたのだ。
しかも、あろうことか初対面の方だ。
初めまして、の挨拶もそこそこに、私、顔に汗ばっかりかいちゃうんです、と笑い話にした。汗にいわゆるアイスブレイキングの役割を課した形だ。
お相手はというと、、、爆笑していた。
会も盛り上がり、お開きになった。
駅へ向かおうと歩きだすと、その初対面だった方が横にきて言った。
「夏の挨拶が”暑いですね”で始まることは多いです。この極端な暑さのせいで、”暑いですね”の声に感情がこもり、不快感をあらわにする人もいます。でも、あなたは違いました。楽しそうだった。最初のその一瞬で、あなたの本当の性格が分かった気がして、好感を持てました。今日はありがとう。」
なんということだ。
私はこういう人になりたいと思った。
この人は、私のほんの少ししかない「いいところ」を見つけることができ、それをあたため、そして伝えることができるのだ。別に伝えなくても済むことなのに、わざわざ駆け寄ってきてまで、伝えてくれたのだ。
こういう人のご家族は、みんな健康で、みんな幸せでいてほしいと願った。
単純に嬉しかった。
これからも努めて楽しく生きようと思った。
実際のところ私の性格が楽しいのかはわからないのだが、その人が感じ取ってくれたものを正解にしたいから、これからも努めて楽しく生きようと思った。
そして美味しいご飯と気遣いのある場所が、やっぱり好きだと思った。飲食店はいつだって、誰ものドラマの舞台である。
その舞台の演出に、どんな形であれ一生関わっていきたいと思うのだ。
そして美味しいご飯と気遣いのある場所が、やはり好きだと思った。
飲食店はいつだって、誰ものドラマの舞台である。
その舞台の演出に、どんな形であれ一生関わっていきたいと思うのだ。
だからきっとこれからも「リョウコちゃんてなんの仕事してるの?」って聞かれ続けるし、それでもいいのかもしれない。表に出てくる形がひとつじゃないだけで、想いの幹はいつも変わらない。
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