
【今日は何の日】2月22日『おでんの日』
おでんの歴史は800年以上!?
おでんは、少なくとも平安時代末期に存在していた記録があり、約800年前には食べられていたことになります。
当時は、豆腐を拍子木切り(ひょうしぎぎり。拍子木のように長方形で少し厚みを持たせて切る。)にし、串にさして焼くシンプルなものだったようです。


どんな風におでんになっていったのか気になる!
ふむ。当時の書物を辿ってみると面白いぞ!
いくつかピックアップしてみたから、一緒にみてみよう。

①豆腐を焼いて食べた!(平安時代)
・『新猿楽記(しんさるがくき)』(12世紀・平安時代末期の本)
ここに庶民が豆腐を焼いて食べていたことが記されている。
ただ、この時点ではまだ「田楽(でんがく)」という名前はなく、単に串焼きの料理として登場。
『新猿楽記』は「猿楽」芸に関する最古の書。猿楽見物の物語を通し、当時の世相・職業・芸能・文物などが列挙して書かれている。藤原明衡著。
②焼いた豆腐に味噌をつけて食べた!(鎌倉時代ごろ)
・『厨事類記(ちゅうじるいき)』(1295年(=鎌倉時代)以降に書かれた本)
この書物では豆腐を串に刺して焼き、味噌をつけて食べる方法が紹介されている!
『厨事類記』は、日本最古の料理書の一つ。平安末期〜鎌倉期末の公家の食膳の様子が記録されているよ。文中に1295年の記事があるため、そのころの書物とされる。
③「田楽(でんがく)」という呼び名が登場!(室町時代)
・『茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)』(室町時代・16世紀)
千利休の時代に書かれた茶の湯の書物。客をもてなす料理として「田楽」の記述が登場!この頃にはすでに「田楽」と呼ばれていたことが伺える。
茶会の食事(懐石)に、味噌を塗って焼いた田楽が出されていた。
彦根藩主・井伊直弼(茶号:宗観)著。今なお色褪せない、大作の茶の湯指南書といわれる。
・『毛吹草(けふきぐさ)』(1638年・江戸時代前期)
「豆腐田楽」という言葉で出てくる。「豆腐田楽は庶民に親しまれている」との記述から、江戸時代前期にはすでに広く食べられていたことがわかる。
『毛吹草』は、俳諧(俳句)や当時の流行語をまとめた書物。句作の参考となる語彙や古今の物産をあげている。正保2年(1645)刊。松江重頼著。
④出汁で煮るスタイル登場!その名も「煮込み田楽」(江戸時代)
・『守貞謾稿(もりさだまんこう)』(1853年・江戸時代後期)
この本によると江戸時代には田楽が発展し、味噌をつけるだけでなく、出汁で煮るスタイルも登場していたことが書かれている。
「煮込み田楽」と呼ばれ、具材も豆腐だけでなく魚やこんにゃくが加わり、関東では屋台で売られていたと記載される。
『守貞謾稿』は、江戸時代の風俗や食文化についてまとめられた資料。嘉永6年(1853)に成立。喜田川守貞著。京坂(京都・大坂)と江戸の風俗・物事を対比する記事が多い。


「田楽」って面白い名前だよね、豆腐に関係なくない?
そうじゃな、「田楽」は元々、古い伝統芸能の名前じゃ!


それが料理名に???意味不明!
「田楽」=「おでん」の語源
そもそも「田楽(でんがく)」とは?
田楽(でんがく)はもともと、豊作を願った舞のこと。
この舞の始まりは平安時代(9〜12世紀)ごろ。
農村の田植え儀礼として豊作祈願の踊りであった。
その際に白装束を着て、一本の足場(高足)で跳ねるように踊るのが特徴。
料理の「田楽」は、この踊りの姿から連想されたものである。

その後、踊りの方の「田楽」は鎌倉・室町時代(13〜16世紀)には、宮中や寺社の芸能としてより洗練され「田楽能(でんがくのう)」として発展。能や狂言のルーツの一つとされている。
現在でも伝統芸能として続いており、例えば奈良の「春日若宮おん祭」では、田楽が奉納されていて昔の形を今に伝えている。
奈良県・静岡県・京都などでも、神事芸能として伝承されている。
田植えの際に踊っていた田楽が、後に料理の名前として使われるのは面白いのう。


ずっと「田楽」だったのに、「おでん」って名前になるのなんで?
呼び名が「田楽」から「おでん」になったワケ

「おでん(御田)」という呼び方が生まれたのは、室町時代~江戸時代初期といわれている。
宮中に仕える女性たちが、料理名の「田楽(でんがく)」を、丁寧に「御田(おでん)」と呼ぶようになったことが由来。いわゆる「女房言葉」だ。
宮中で使われた女房言葉だけれど、それが江戸時代ごろに庶民の間にも広まって、今では普通の呼び方になったよう。
女房言葉では食べ物の名前に「御(お)」をつけたり、語尾を変えたりすることが多かった。
例えば「餅」→「おかしらもち」、「鮎」→「おせんど」など。味噌汁の「御御御付け(おみおつけ)」も、そうだよ!w
なぜ2月22日が『おでんの日』?

「おでんの日」は2月22日。
新潟県の越乃おでん会が制定しました。
この記念日は、熱々で湯気もくもくのおでんを食べる際に、「ふーふーふー」と息を吹きかける音から、日付が「2(ふー)2(ふー)2(ふー)」と読める語呂合わせで決まったそうです!(で、でた〜記念日ダジャレ!w)
この日は日本記念日協会によって正式に認定されており、おでんの日を盛り上げるイベントが各地でも行われていたりします。
ちなみに、新潟のおでんを全国に知ってもらうために、「おでんの日」が制定されました。
「新潟おでん」って一体どんなおでん?

新潟には、江戸時代に北前船で伝わった文化があります。
例えば、新潟おでんには、はんぺんの代わりに「しんじょう」を入れるのもその影響。
京料理で作られる「しんじょう」は、北前船によって京都から新潟へ伝えられました。昆布だしを使うのも、北前船によって昆布が豊富にもたらされたからかもしれません。
しかーーーーーし!!
新潟おでんは、地元の食材や味付けを活かした独自のスタイルを生み出しているです!!
例えば地酒を煮切りにして使用したり、〆には新潟のお米にだし汁をかけて「おでん茶漬け」として食べることが一般的なのだそうです!(たまりませんなぁ……)
また、京都からもたらされた「しんじょう」も、新潟では「揚げしんじょう」にしておでんへIN!
そこには新潟ならではのおでんがあります!
関西ではおでんのことを「関東炊き」という

「関東炊き(かんとだき)」は、関西でのおでんの別名です。
もともと江戸で生まれた「煮込み田楽(=おでん)」。つまり、おでんの本場は関東なのです。
明治時代になり、おでんが関西に伝わり、関西の人にとっては「関東風の煮物」だったことから、「関東炊き(かんとだき)」と呼ばれるようになりました。
関西のおでんは色がとても淡いです。関東から来たおでんを、自分たちの好みに合わせて作ったのですね。
そう、関西は昆布ベースで薄口しょうゆが基本。
関東のおでんは鰹節ベースで濃口醤油を使用するため、関西に比べ見た目の色は濃いめです。
現代のセブンイレブンでも、関東と関西とではおでんに違いがあるとか。

『守貞謾稿(もりさだまんこう)』にも、江戸時代の屋台のことが詳しく書かれていて、「おでん屋台が繁盛していた」とか「関東と関西で味付けが違う」など記述があるんだとか。

今につながる文化が、すでに出来ていたと思うと面白いなあ!
江戸時代後半、江戸近郊で醤油造りが盛んになりました。おそらくですが、串刺し焼き豆腐だった「田楽」が煮込まれるようになった(=おでん)のも、このお醤油の発展がきっかけで調理の幅が広がったからなんじゃないかと私は思います。
天気予報で「おでん日和」がある!?

「おでん日和」とは、寒い日におでんを食べたくなるかどうかを示す指標のこと!
おでん日和を数値化した「おでん指数」というものもあるよ。
おでん指数
• 気温・湿度・風速などをもとに、「今日はどれくらいおでんが食べたくなるか?」を数値化
• 数字が高いほど「おでん日和」(例えば80以上なら「絶好のおでん日!」のような形)
おでん日和
• 寒くておでんが食べたくなるような天気の日を指す
• 曇りや雨、冷たい風が吹く日などによく使われる
これらは、ウェザーニューズなどの民間気象会社が提唱しているもの(気象庁は公式には使っていない)だけど、寒い日もポジティブに受け取れるから好感が持てますよね!

「今日はおでん日和ですね」なんてアイスブレイクで使えそうだね!
まとめ:関連記事

おでんは冬の季語にもなっています。それほど生活に根付いて、昔から愛されている料理だと思うとちょっとだけ単なる「おでん」ではなくなる気がしています。
ああ、早くこの記事も書き上げてしまって、からしたーっぷりつけて、熱燗の面倒を見ながらふーふーふーしてアツアツのおでん食べたい!!
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