
精神力の源は、優しさ?
こちらの記事で、
▶︎豆まきは意外と新しい!?実は「イワシを食べる文化」の方が古いって知ってた?
https://福のbar.com/post-509
鰯を食べるのと豆を撒くの、どっちが歴史あるかを解説した、際に、色んな感情が生まれたのでこちらの徒然日記へ、赴くままに書かせてもらいたいとおもいます。
そのころ日本は農耕社会だったから、今なんかよりももっと、きっと季節には非常に敏感に過ごしてたよねと。
畑に種をまく時期も読まなきゃいけないし、霜や雨や風などに作物がやられないように、微細な風の温度変化とか、雲の様子とか、空気の湿り気とかそういうのから沢山のことを感じ取ってたはず。
自然相手に微妙な変化を感じとれるってのは、きっと対人についても敏感に察知してたんじゃないか。と思うわけです。
あ、この人どこか悪いのでは…?
なんだか、いつもと違う、異様な雰囲気を纏(まと)ってたな…?
そして現代よりも昔はもっと、「死」という存在が近いわけで。
医療が今ほど発達してなく、よくわからない病気は不治の病とされた。
少しの体調の変化や、怪我で、命が脅かされることもあった。
だからこそ人が頼れるのは、「願い」だったのかとおもうのだ。
縁起をかつぐのもそのひとつ。
とくに今回テーマになっていた「季節の変わり目に食べるイワシ」。
鰯は庶民の味方。
量も値段も手に入りやすい食材。
しかも、栄養価も非常に高い魚!
だからこそ、
季節が大きく変わる体調を崩しやすい時期に、
焼いたイワシを食べることで、
体を強くし、元気に過ごそうとした。
ここまでは生活のなかの慣わしだよね。
ここまではわかるんだ。
だけどそれだけじゃなかったんじゃないかなって、
さらに、深読みしてしまうんだ。
この風習の、私なりの捉え方。
それは結局、
「体の中の邪気を払う」といった考え方は、相手に対する願いである。ということ。
” 鰯だったら少しのお金で食べさせてあげられる。しかも「鰯の焼き食い、米一升」なんて言われるくらい、ご飯がすすむ最高のおかず。お腹いっぱいになるまで食べて、健やかに育ってほしい。”
そんな想いを乗せた鰯を食べさせる、親から子への気持ち。
逆も然りで、
” 子が親に対し、いつまでも元気でいてほしい、だから邪気を払ってくれるという鰯を食べてほしい。鰯よどうか、とーちゃんかーちゃんの邪気をはらってください。”
そんなふうに、相手のことを想い願った、優しい気持ちが形として表れたもののように私には感じられる。
「あなたに元気でいてほしい」の暗喩の気がするのだ。
それにしても、
医療に頼れない環境をどう想像できようか。わたしにはとてもじゃないが恐ろしくて想像できない。
死がすぐそこにある環境。
並大抵の精神力では生き抜けない。
だから、祈りをこめ、信じる。
信じ抜くことが、精神力の根源なのかもしれない。

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