福ちゃんの「日本料理に心酔中!」〜食事が2倍楽しくなるブログ〜

徒然日記

精神力の源は、優しさ?

こちらの記事で、

鰯を食べるのと豆を撒くの、どっちが歴史あるかを解説した、際に、色んな感情が生まれたのでこちらの徒然日記へ、赴くままに書かせてもらいたいとおもいます。
   

そのころ日本は農耕社会だったから、今なんかよりももっと、きっと季節には非常に敏感に過ごしてたよねと。

畑に種をまく時期も読まなきゃいけないし、霜や雨や風などに作物がやられないように、微細な風の温度変化とか、雲の様子とか、空気の湿り気とかそういうのから沢山のことを感じ取ってたはず。

自然相手に微妙な変化を感じとれるってのは、きっと対人についても敏感に察知してたんじゃないか。と思うわけです。

あ、この人どこか悪いのでは…?

なんだか、いつもと違う、異様な雰囲気を纏(まと)ってたな…?

そして現代よりも昔はもっと、「死」という存在が近いわけで。

医療が今ほど発達してなく、よくわからない病気は不治の病とされた。

少しの体調の変化や、怪我で、命が脅かされることもあった。

だからこそ人が頼れるのは、「願い」だったのかとおもうのだ。

縁起をかつぐのもそのひとつ。
   

とくに今回テーマになっていた「季節の変わり目に食べるイワシ」。

鰯は庶民の味方。
量も値段も手に入りやすい食材。
しかも、栄養価も非常に高い魚!
だからこそ、
季節が大きく変わる体調を崩しやすい時期に、
焼いたイワシを食べることで、
体を強くし、元気に過ごそうとした。


ここまでは生活のなかの慣わしだよね。
ここまではわかるんだ。

だけどそれだけじゃなかったんじゃないかなって、
さらに、深読みしてしまうんだ。

この風習の、私なりの捉え方。
それは結局、


「体の中の邪気を払う」といった考え方は、相手に対する願いである。ということ。


” 鰯だったら少しのお金で食べさせてあげられる。しかも「鰯の焼き食い、米一升」なんて言われるくらい、ご飯がすすむ最高のおかず。お腹いっぱいになるまで食べて、健やかに育ってほしい。”

そんな想いを乗せた鰯を食べさせる、親から子への気持ち。

逆も然りで、

” 子が親に対し、いつまでも元気でいてほしい、だから邪気を払ってくれるという鰯を食べてほしい。鰯よどうか、とーちゃんかーちゃんの邪気をはらってください。”

そんなふうに、相手のことを想い願った、優しい気持ちが形として表れたもののように私には感じられる。

「あなたに元気でいてほしい」の暗喩の気がするのだ。

 

それにしても、
医療に頼れない環境をどう想像できようか。わたしにはとてもじゃないが恐ろしくて想像できない。
死がすぐそこにある環境。
並大抵の精神力では生き抜けない。

だから、祈りをこめ、信じる。

信じ抜くことが、精神力の根源なのかもしれない。

農村の風景。電柱などもなく、農耕で暮らしていた当時を彷彿とさせる。
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