
うずうず
むかし、わたしが学生の頃、父に言われた言葉を思い出す。
その頃、バスを日常的に使っていて、
わたしはおねしょをした日でも母に分からないように普通に起きられた日でも晴れた日には布団を干した。
円形脱毛症がどこにあるのか毎日気にした。
自分がこの世に生きていて喜ぶ人は1人もいないんじゃないかと思っていた。
.. .. .. ..
そういう頃だから、毎朝の、揺さぶられるバスの運転が気に障って仕方がなかった。
どうして何度もブレーキを踏むんだろう、
なんでまっすぐな道でハンドルを左右にするのだ、
その度に、乗客の頭が前後、左右に振られる。
いらいらと焦りみたいなものが増幅した。
それでも、
同じ時刻のバスに乗っているのに、月に2.3回だけ、ものすごく優しい運転をするひとがいた。
乗って、走りだして、バスは走っているはずなのに、こちらはずっとマシュマロの上に寝転がっているような感覚なのだ。
その心地良さに、走り出した瞬間から、あ、今日はこのひとの運転だ、と気づく。
そのひとの運転の日は、心の中がほくほくとなった。
.. .. .. .. ..
降りる時には、どの運転手さんの日でもお礼を言ったが、このひとの日には、一際丁寧に言えていたと思う。
ある時たまらず父に話した。
お父さん、バスさ、たまにさ、運転すごくうまいひとがいるんだよね
そうか、良かったな。
うん、でさ、すごくさ、なんかさ、ありがとうってカンジなんだけど、ありがとうって口で言ってもさ、ありがとうってほんとうに伝わってるのかな
あのな、ありがとうって言えてるだけで充分だよ。
えー、だってさ、誰にでもありがとうってコトバ使ってるじゃん それでわたしがこんなにさ、そのひとの運転でラッキーとか、思ってるのわかんないじゃん
そうか、そしたらな、もしまたその運転手さんに会えたら、いつも運転が丁寧だから安心して乗れて感謝しています、とか、自分の言葉で何か一言だけでいいから言ってあげたらいいよ。
大人はな、働いてると、人に褒められることは滅多にないんだ。
ふーん、そうなんだ、、、ま、言えたらね
.. .. .. .. ..
思ってることを伝えるだけで、嬉しいと思ってもらえるならそれがわたしも嬉しい。
ワインがあって良かった。
嬉しいとき、おめでたいとき、誰かを想うとき、
うずうずした気持ちを噛みしめるために
ワインを開けてゆっくり飲むんだ。
空になるまでは、許された時間。

一人でじんわり、も、すきだ。
私の両親は、特に父親は、気性の荒さとは裏腹に、車の運転がとても優しかった。それに気づいたのは社会人になり、タクシーを利用するようになってからだ。誰もが、乗せている人たちのことを考えて運転しているわけではないのだと思い知った。大人は見栄や、意地や、お金を優先させる人も多いんだ、そうすると、疎かになってしまうことが起きる。
父親はなによりも、乗せている子どもを最も優先して考えてくれていた。ある日家族で遠出した帰り道、夜中で兄弟みな、後ろの席で寝静まっていた。なんとなくひそひそ話がきこえてきて、半分ぼーっとしながら耳に会話が入ってくる。どうやら母親が運転しているらしい。父が母になにか言っている。「今みたいなカーブの時は、こうしてこうすれば後ろに乗ってる子供の体に負担がかかりにくくなるから…」「アクセルもタイミングを….」そうしてわたしはまたぐっすり寝てしまった。たくさん優しさを受け止めていたらしい。
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