
ミシュランの雑学-その②「星の拒否/マスコットの誕生秘話」
ミシュランの「星」を拒否した!京都の料亭

京都の老舗料亭が、格式を重んじるあまりミシュランの星を辞退したことで話題になった。星を持つことで予約困難になり、常連客への対応が難しくなることを懸念したという。
ある料亭、とは「瓢亭」さんであるが、その後も京都の料亭の辞退が相次いだ。
京都・大阪版の刊行にあたり、総責任者のジャンリュック・ナレさんは「東京のシェフなら掲載は一回の依頼で受けてくれるが、京都は三回お願いしないといけない土地柄と聞き、覚悟している」などと述べたという。
星を辞退したといわれている京都の料亭を見てみよう。
ミシュランの星を辞退した京都の料亭
1.瓢亭(ひょうてい)

ミシュラン京都・大阪版の初版である2010年版(2009年)で三つ星を獲得。
しかし「お客様に対するおもてなしの姿勢と合わない」として、一度掲載を辞退。
その後、2012年版から再び掲載され、現在も評価され続けている。
筆者も一度しか訪れたことはないが、しつらえから歴史を感じさせてくれ、素晴らしい食体験であった。付かず離れずの接客、提供のタイミング、大変興味深く、学ぶところもたくさんあった。ごちそうさまでした。
・瓢亭のご予約
京都に本店と別館、東京に日比谷店があります。

2.吉兆 嵐山本店(きっちょう あらしやまほんてん)
審査を打診されたが、親類の東京吉兆が辞退(おそらく事件関連で自粛)した経緯を踏まえ断ったとしている。
それでも当時の京都吉兆嵐山本店総料理長の徳岡邦夫氏は「(東京は)同じ吉兆といえ別の店。もし再びオファーがあれば、是非とも掲載していただきたい」とし、後に実際に嵐山本店は三つ星を12年連続獲得、系列店も星を獲得している。
2024、2025年版は嵐山本店の掲載がなく、店舗側の判断か、ミシュラン側の問題かはわからないが、動向を引き続き見ていきたいと思う。
3.菊乃井(きくのい)本店
2012年版では三つ星だったが、2013年版で突如掲載を辞退。
その後、復帰し現在も掲載されている。

東京にもミシュランの星を辞退した店はある?
2025年1月時点で、東京の飲食店がミシュランの星を辞退したという具体的な事例は確認されていない。
辞退したかは公表されない
実際に、ミシュランガイドへの掲載や星の受賞を辞退したかどうかは、必ずしも公表されるとは限らないのだ。それは店舗が各自で判断することだ。
また、ミシュランガイド側も、掲載を辞退した店舗をリストから外す場合もあるが、詳細な方針や対応については公式に発表されていないことが多い。
あなたは何て呼んでいる?ミシュランのマスコットキャラクター

ミシュランの白いキャラクターの名をあなたは何と呼んでいるだろうか。
現地フランスでは「ビバンダム」。
日本やアメリカでは「ミシュランマン」として親しまれている。
正式名称はラテン語の「Nunc est bibendum(今こそ飲むべき時)」に由来している。
100年以上愛され続け、フランスでは親しみを込めて「ビベ」と呼ばれることもある。
キャラクター誕生秘話
「Nunc est bibendum(今こそ飲むべき時)」は、実はミシュランのキャラクターである「ビバンダム(Bibendum)」の名前の由来になっている。
この名前は、ミシュランの古い広告で「タイヤがどんな悪路でも酒のように飲み干す」ことを表現したものから発展した。
始まりは1898年にフランスのミシュラン兄弟(アンドレとエドゥアール・ミシュラン)がパリのリヨン見本市で見たポスター案。
そのポスターはオガリュス氏(O’Galop)(本名:モース・モース)がデザインしたもので、これにピンときたミシュラン兄弟は、制作を依頼。
既存のビール会社の広告デザイン(ビールジョッキを掲げる太った人物の絵)をヒントに、「ミシュランのタイヤを積み重ねたキャラクター」に変えて作成した。
そのキャラクターが「ビバンダム(Bibendum)」。ジョッキの代わりに釘やガラスの破片が入ったグラスを掲げ、「Nunc est bibendum(今こそ飲むべき時)」というセリフを言っていることから名付けられた。
実はこのフレーズはローマの詩人ホラティウスの詩から取られており、本来の意味は「今こそ祝杯を挙げるべき時」だった。
それを、ミシュランでは「ミシュランのタイヤならどんな道でも走破できる(異物をものともせずに進める)」という意味を込めて使った。
以来、このキャラクターは「ビバンダム(Bibendum)」は現在でもミシュランの象徴として親しまれている。
元々はグルメ本ではなかった!?ミシュランの始まりはドライブガイド

1900年、フランスのタイヤメーカー・ミシュランが始めたガイドブック。
内容は修理工場やガソリンスタンドの情報、タイヤ交換の仕方などが中心で、ドライバー向けに無料で配布された。当初はレストラン評価は含まれていなかった。
その頃は今から100年以上前であるから、フランスにはまだ自動車が数千台しかなく、ドライブを楽しむ人は少なかった。
ガイドを配ることで「もっと車に乗り、タイヤを使ってほしい」という戦略があったのだ。
元々はフランスのタイヤメーカー

ミシュラン社は1889年にフランスで創業し、世界で初めて着脱可能な空気入りタイヤを開発した。今では世界的なタイヤブランドとして、モータースポーツでも活躍している。
現在、ミシュランは世界170カ国以上でタイヤを販売し、市場シェアはトップクラス。F1やル・マンなどのレース用タイヤ開発にも力を入れている。
関連記事▶︎ ミシュランがF1を撤退!タイヤメーカーとしての横顔
タイヤの宣伝のために、レストランの案内地図も始まる

自動車旅行を普及させるため、修理工場や宿泊施設の情報を載せたガイドを配布し始めたミシュラン。
その中で美味しいレストラン情報が人気を集めたため、1920年代には、有名レストランのリストを掲載するようになり、評判が急上昇。レストランに星をつけ評価を始める。
次第に「この本に載ることが名誉」となり、ミシュランの評価が飲食業界に影響を与えるようになった。
ミシュランガイドの「星」は1個から始まった!レストラン格付けの歴史

最初に星の格付けが導入されたのは1926年。
当初は「良いレストラン」に1つ星がつくだけだったが、1931年に2つ星・3つ星の制度が導入され、現在の評価基準が確立された。
3つ星の評価は「そのために旅をする価値がある店」とされ、最高の栄誉とされる。ミシュランの覆面調査員が厳密な基準で審査し、毎年ランキングが更新される。
東京の格付け開始は2008年版から!盛大に祝われた祈願祭

2007年、ミシュランは東京版ガイドの発行を発表。日本中で話題になった。
発表会は神田明神で式典が行われミシュランガイド総責任者のジャン・リュック・ナレさんも来日した。
ジャン・リュック・ナレ氏は「特に日本料理に敬意を表します。」とご挨拶されました。ミシュランガイドがついに日本のレストランを掲載するということは、日本の食文化が世界的にも評価された証となる重要な出来事であった。
東京版初年度(2008年版)は8店が3つ星を獲得し、計191店が星付きに選ばれた。実は初版からパリやニューヨークを超える評価となり、世界中のグルメが東京のレストランに注目するきっかけとなった。
東京は初版から世界最多!?星付きレストラン数
驚くべきことに、東京は、初版である「ミシュランガイド東京2008」から世界最多の星付きレストラン数を獲得。
しかもそれ以来、16年連続でその地位を維持しているのだ(2025年版現在)。
これはもちろん、美食の街であるパリやニューヨークを大きく上回る規模だ。
2024年版では東京の星付きレストラン数は200軒以上に達し、フランスの都市全体を超える規模。和食・フレンチ・中華など幅広いジャンルが評価されているのも特徴だ。
初版のミシュランガイド東京2008では、星付きレストラン数は計191店。
最新のミシュランガイド東京2025は、2024年10月22日に発売され、星付き飲食店は合計170軒となった。
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